小嶺イズムの継承者、スペインで得た知識と確信1

バルセロナは“蹴球馬鹿”が集まる街だ。バルサのフットボールに魅了され、ある者は休学し、ある者は職を辞してこの街にやってくる。中でも多いのが指導者。近年は現地で学んだ監督たちが続々と帰国し、日本で活躍しはじめている。

話を訊いたRCDエスパニョール・ジャパンアカデミーの責任者・吉住貴士もその一人。初回は全国制覇も経験した彼の経歴と、スペインへ渡ったきっかけについて。

(取材・文=工藤拓)

名門国見で全国制覇

吉住は体育会系の王道を歩んできた男だ。地元長崎の強豪・国見高でDFとして活躍し、3年次にはインターハイを制覇。鹿屋体育大では4年次に主将を務め、高校生の指導も経験した。

――中学までは地元の無名校でプレーし、国見高校へ進学したきっかけ

「ちょうど僕が中学2年の時に国見が7、8年ぶりくらいに全国を取って復活、みたいなタイミングで進路選択があって。日本一の高校はどんな感じなんだろうなと。あと中学の校長先生が(当時の国見高校サッカー部監督の)小嶺先生と国体かなんかで一緒にプレーした選手で、仲が良くて。電話一つで紹介してもらって『じゃあお前、夏休みにセレクション受けてこい』と。セレクションは入部とかじゃなくて、寮に入れるかどうか。後々聞いた話では、できるだけ寮生は全国から来る中でいい選手、レギュラー格になる選手を優先する感じのようで。でも僕はセレクションのプレーは全然ダメだったのに、校長先生の電話一本で決まりました」

――国見の練習はハードで有名

「1年の時はもう、地獄ですね(笑)。1年で鍛えられたって感じです。2年の途中からAチームに入るようになって。ちょいちょい公式戦に交代出場で出させてもらったんですけど、ちゃんとレギュラーで出たのは3年生ですね」

――鹿屋体育大学で、教師の資格を取りながらプレーを続けた

「元々、小学校高学年くらいから教師になるのが夢で。プロ選手になるよりそっちの方が強かったですね。両親、祖母、みな教員だったので、教員になりたいというか、知っている職業が教員しかなかったですね。だから自然に教員になるんだろうなと思って」

――大学時代は指導も経験した

「大学3年生の時に、社会人リーグに入っているチームのユースチームの指導をやりました。それが初めての指導です。大学のプログラムの中に、サッカーの指導者ライセンスのC級が取れる授業が入っていて。各競技の専門の時間が設けられていて、サッカー部はライセンスをとる授業をしようと。基本的に鹿屋のサッカー部は全員サッカーの指導を経験するようになっています」

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吉住貴士

吉住貴士(よしずみ たかし)/1986年生まれ。長崎県平戸市出身。国見高―鹿屋体育大卒。長崎総合科学大学附属高サッカー部コーチを5年間務めた後、2013年に渡西。バルセロナの町クラブで育成年代の指導に当たりながらスペイン指導者ライセンスのレベル2(日本のA級に相当)を取得。17年の帰国後はスペイン1部RCDエスパニョールが開校したジャパンアカデミーの責任者として本場のフットボールを伝えている。